2012年8月16日木曜日

愛車フォレスターを手放す


帰国のため、1年5ヶ月乗った愛車のフォレスターを手放した。昨年の4月、2万2千ドルで購入した車だったが、1万2千ドルで或る日本人に譲った。

もともと2万2千ドルという価格は、中古車として非常に高いという印象だったが、帰国間際の忙しい時、簡単に手放されるようにと、日本人スタッフのいる中古車店で購入したため、他車との比較などもしないで購入した車だった。1年5ヶ月の間、故障などはなく、4WDだったため、冬の雪でも問題なく利用できたので、車としては当りだったと思う。ただし、最初からタイヤの状態があまり良くなく、いつもタイヤを気にしながら乗っていた。(冬の間は中古のスパイクタイヤを履いていた。なお、Aurora Ave.にある中古タイヤ店は安いが仕事がずさんで乱暴だった。Lake Cityにある韓国人の中古タイヤ店はちょっと高いが仕事が丁寧でお勧め。)


  • ネット情報で買い手を見つける

手放すにあたって、最初に購入した店で引き取ってもらうことを考えていたが、この場合には、1万ドル以下になることが予想された。最近の中古車市場は、ネット売買が中心で、私の場合も、この店で代行販売をしてもらい、販売価格の7%を店が取るという仕組みだった。しかし、清算にあたっては、傷の修理代などが引かれるため、実際に手元に残るのは1万ドル程度だろうというのが私の予想だった。

シアトルにはジャングル・シティというコミュニティ・サイトがあり、ここで先日、4WDを買いたいという情報を偶然目にした。車の価格情報サイトBlue Bookで調べると、私の車の場合、次のような価値になっていた。

Excellent: $15,105

Very Good: $14,605

Good: $14,155

Fair: $12,655

車の機能的な程度としてはGoodかVery Goodだと思ったが、マーケットに駐車していて、隣の車のドアに当てられた傷や、バンパーをかすられた傷があったのと、面倒な値引き交渉をしたくなかったので、最低評価よりも低い1万2千ドルで売りたいと申し出たところ、すぐに売買契約が成立した。


  • 廃棄ガスのチェック

ネット上の日本語の情報では、個人間の売買を行う場合、排気ガスのチェックが必要とされていたので、テスター屋に行ってみると、私の車は年式が新しいため、個人売買でもチェックは必要ないということだった。2012年現在、チェックが必要な車は2007以前の車ということだった。


  • 売買の実際

売買の当日、チェックと引き換えに、Titleと呼ばれる車の権利証を渡した。相手が家族のある日本人だったため、信用してパーソナル・チェックで代金を受け取ったが、1万ドルを越える場合は、バンク・チェックにしてもらった方が安心かもしれない。私の場合、チェックを口座に入れた翌日には、送金手続きが完了していたので、実際には何の問題もなく代金を受け取ることが出来た。

本来は、Titleに売主のサインがあれば、登録の手続きは買主だけで出来るのだが、後学のため、私自身もLisence Officeという登録事務所に同行し、登録手続きを行った。

私達が訪ねたのはベルビューの事務所で、ショッピングモールの一角にあった。10時ごろ訪れると、すでに20人ほどの人が順番を待っていた。事務所には、売主と買主の氏名住所、売買価格、車の情報などを書き入れる簡単な用紙があったので、記入し、順番を待った。Titleには記入欄が幾つかあったが、間違えるといけないので、予め記入は行わなかった。


  • 売買価格の申告と税金

1時間ほど待って順番が来た。窓口に先ほど記入した用紙を差し出すと、同様の内容と、さらに車の状態を記入する用紙を渡された。ワシントン州では、購入価格の1割弱を消費税として収めなければならない。買主の希望で或る価格を記入し、状態を適当にGoodと書いて渡すと、どういう評価基準なのか1万6千ドル以上の見積書を出して来て、「状態がGoodならこの評価基準で税金を納めなければならない」と言われてしまった。税金を納めるのは私ではなく、買主なのだが、英語が苦手のようだったので、「実際には、ボディーに多少の傷があり、タイヤの状態なども良くない」と言うと、そのように用紙を書き直すように指示され、何だか信用していないような様子だったが、最初の申告額で受理された。

ネット上の日本語情報では、価格ゼロでも登録が出来たようなことが書かれているが、これは大昔の話で、現在は不可能だと思う。買主になり、安い価格で登録しようと思う場合は、車の不具合を予めよく確かめて(?)おくことが大切だ。なお、不具合を証明する書類などは要求されない。

Titleの記入は指示に従って簡単だった。


  • 後日談

結果としてスムーズに車を手放すことが出来たのだが、最初にあてにしていた中古車店が何と倒産してしまった。そもそも手放すときのことを考えて、この中古車店で車を購入したのだが、倒産ということまでは考えていなかった。もし個人売買で手放すことが出来なかったらと思うと、冷や汗ものである。また、中古車で2万2千ドルというのは如何にも高い。これだけ出すのなら、次回は新車を購入して高く売るか、リースにしても良いかと思っている。

2012年6月17日日曜日

素晴らしい留学体験

息子の学校が昨日で学期を終了した。9月からの1学年を満了することができた。当初は、ある程度の会話力が身につき、一人でも多くの友達をもつことができれば、それだけでよいと考えてアメリカに連れて来たが、振り返ってみると、期待を何十倍も超えた、素晴らしい留学期間だったと思う。

会話力に関しては、ゼロからの出発ではなかったこともあって、予想を遥かに越える力がついた。息子は、恐らくこれから会話で苦労することはないだろう。読解力は現地の小学生4・5年生程度、作文力は、3・4年生程度ではないだろうか。他の教科では、理科で多くを学んだようだ。国語(英語)は全ての課題を自分だけでやり通したので、これも自信になったことだろう。

小さな学校だったこともあって、本当に仲の良い友達を何人も得ることができた。これは何よりも素晴らしいことだと思う。このうちの幾人かとは、おそらく生涯を通じて友人同士であり続けることができるだろう。

何ヶ月もかけて皆で作り上げたスクール・ミュージカルも、かけがえのない貴重な経験となったにちがいない。

親の帰国後も子どもが合法的に滞在する方法

今回CKS (Christ the King School)を 息子の学校として選んだ理由の一つは、CKSがI-20という留学生の受け入れ許可証(滞在許可証)を発行できる学校だったからでもある。

当初、状況によっては私自身の滞在期間が3月末までとなる可能性があった。その場合、当然だが家族も私とともに帰国しなければならない。しかしアメリカの学年は、6月半ばまで続くので、この場合、息子は、学年が終了するまでもう少しというところで、帰国しなければならなくなってしまう。こういう場合を想定し、私が3月末で帰国する場合でも、息子が学生ビザで残るためにI-20を発行できる学校を選んだのだった。(しかし現実には、寄宿舎などの設備が整った特別な学校でない限り、中学生の学生ビザは発給されないとされており、ビザは申請しても発給される可能性は極めて低いだろうとも考えていた。)

実際には私自身の滞在期間が8月末で延長できたので、息子も私の家族として自動的に2年目を迎えることができ、学年を満了することができた。そのためI-20を使って息子の学生ビザを申請することもなかった。

ところで、以前に2年目のビザの更新をした時、一つ重要なことに気がついた。それは、ビザは入国許可であって、滞在許可ではないということだ。したがって、I-20という滞在許可をもっていれば、仮に私が3月に帰国した後も、実は息子は合法的に学年の終わりまで米国に滞在でき、この滞在自体のためにはビザは必要ないということだ。

通常、我われのような研究者の滞在許可の期間は、研究機関から発行される許可証の期間とされている。そして家族もそれに準じる。そのため入国の際に取得する「正式な滞在許可証」であるI-94にはD/Sと書かれている。これは他に所持する滞在許可文書の示す期間という意味である。したがって、仮に私の家族としての滞在許可期間が切れたとしても、I-20などの正式な滞在許可証を所持していれば、その後も当人は合法的に滞在できるのである。

ただし母親の滞在許可は切れてしまうので、母親はいったん国外に出て、旅行者として再入国することになる。また本人(息子)は、ビザ(入国許可証)を所有していないので、国外に出ると、再入国する際は「旅行者」になり、学校に通うことは非合法になる。(たとえI-20を持っていても、D/Sと記載されたI-94を持っていないので、現地の学校に通うことは非合法になる。そして、新たに学生ビザを持っていない場合には、D/Sと記載されたI-94を取得することはできない。)

こういう情報は私の見る限りネット上には掲載されていない。そのため、実はかなり多くの子どもたちが、I-20なしに非合法な形で、父親の帰国後も6月まで米国内に止まり現地の学校に通っているようだ。アメリカがこういうケースをどの程度取り締まっているのか分からないが、発覚した場合は、将来ビザを取得したり、ビザなしで旅行に来ようとする場合に、大きな問題になると思われる。小・中学でI-20を発行できる学校はそれほど多くないが、どのような場合にも学年満了まで子どもを現地の学校に通わせたいと思う場合は、I-20を発行できる学校を選んでおくことは大切だと思う。

2012年6月4日月曜日

Pogoplug Mobile改:OpenVPNサーバ

60ドルほどで購入したPogoplug Mobileを、ArchlinuxとOpenVPNで、激安のVPNサーバに改造してみた。

Pogoplug Mobile
こんなに小さくても、
れっきとしたコンピュータ

最近はどこの組織や機関でも、セキュリティ対策でプロクシが設置され、Webが使えるだけの状態になっているところが多い。私の大学でもhttpプロクシのポートが一つ開けられているだけで、smtpやpop3を使用するメーラーでさえ使用できない状態にされている。

特に不便なのはPogoplugが設置できないことだ。PogoplugはTCPの80番と443番に加え、UDPの4365番と3333番を使用する。仙石氏のstoneなどを使用してポート変換すれば、プロクシ越えできないこともないが、いっそのこと自宅にVPNサーバを設置して、研究室にあるサーバは、全て自宅のゲートウェイからインターネットに出るようにしておけば、後々も便利である。

Pogoplug
これでピンクちゃんたちも、
自由に外にでられるようになりました。

動かしてみると、思ったよりスループットもよく、まずまずの出来ばえだ。プロクシ越しにPogoplugを使用しているという情報はネット上に見えないので、あるいは私のところが「世界初」の使用例かも知れない。

それにしても、ネット上に流されている情報の不正確なことには今更ながら驚いた。20年ほど前にインターネットの商業利用が始ったばかりのころ、ネット上の技術情報は信頼できるものがほとんどだった。しかし現在では恐らく9割以上がどこかに間違いを含んだ情報になっている。OpenVPNは10年ほど前に一度使用したことがあるだけで、最近は全く触れていなかったので、ネットで設定方法を確かめようとしたのだが、あまりに酷い設定例ばかりであきれてしまった。特にローカルのDHCPが動いている状態で、OpenVPNでも簡易DHCPを動かしているような設定が多く、よくこれでネットワークが機能しているものだと、逆に感心してしまうほどだった。

2012年5月25日金曜日

iPad版MendeleyをPogoplugと連携させる

私は仕事に必要な文献をPDFにしてPogoplugというパーソナルクラウドに入れている。

Pogoplug
理系の研究者は、書籍ではなく、主に論文を使用するので、文献のデータ量はそれほど多くならないと思うが、我われ文系の研究者は主に書籍を利用するので、PDFにした場合のデータ量が非常に大きい。シアトルに来るとき、現地で必要になると思った文献を300冊ほどPDF化したところ、30GBを越えてしまった。これほどデータ量が増えてしまうと、よほど経済的な余裕がない限り、DropboxやSugerSyncなどの有料クラウドにおいて置くことはできない。かと言ってローカルなPCに記録させたままでは、外出時に文献が必要になった時、すぐに閲覧できずに不便だ。そこで私は、Pogoplugというパーソナルクラウドの端末に1TBのハードディスクをつないで、いつでも文献が閲覧できる状態にしている。

PCだけでこの文献を利用している場合は、ファイル名に適当なタグ情報をつけておけば、SuperFinderなどの検索ソフトを使って、簡単に目的の文献を見つけることができるのだが、iPadからもPogoplug上の文献を利用しようとすると途端に面倒になる。iPad用のPogoplugアプリには検索機能がないためだ。(以前のバージョンには簡易検索機能があったのだが、最近のバージョンアップで何故か検索機能がなくなってしまった!?)そこでこの機会に、以前から気になっていた文献データベースソフトを導入してみることにした。


  • Mendely vs. Papers

文献データベースソフトには、よく知られているものが数種類あるが、人気を二分しているMendeleyとPapersを試しに使用してみた。その結果、文系には圧倒的にMendeleyが使い安いという結論になった。そもそも文系の研究者は、書誌情報をPCで管理したりしない人がほとんどで、受容が少ないためか、MendeleyもPapersも基本的には理系の学術論文情報を整理しやすいように設計されている。しかもPapersの場合は、Amazon.co.jpなどの日本語サイトには対応していない。これでは我われ日本人の文系研究者には、全く利用価値がないと言わざるを得ない。その点、MendeleyはAmazon.co.jpやCiNiiなどの日本語データベースにも対応している。

Mendeley上の文献情報


  • MendeleyとPogoplugの連携

ただしMendeleyにも幾つかの問題がある。最も大きな問題は、iPad版のMendeleyで目的の文献を閲覧するためには、Mendeley社のクラウド上に文献を置いておく必要があることだ。Mendeleyのクラウドは500MBまで無料で利用できる。しかし私のように30GBを越えるような文献を所有している場合は、月に20ドル以上かかってしまう。こんな料金を支払える余裕もないし、積りもない。ネットで検索をしてみると、私のようにデータ量の多い場合、iPad上でのMendeleyは、単に文献のデータベースとして利用することに割り切り、Pogoplugなどに置いた文献データは、Pogoplugアプリから手作業でダウンロードしている情報しか得られなかった。しかしこれではそもそもMendeleyを利用する意味がない。何とかしてMendeleyで検索した情報から文献データにアクセスしたい。

さいわいMendeleyには、URL情報を追加できる機能があった。またPogoplugにも文献へのリンクを取得する機能がある。そこでPogoplugのリンク情報をMendeleyの文献データに加えてみたところ、リンクは上手く機能し目的のPDFをMendeley上で表示することができた。しかし、Mendeley上ではPDFに注釈などが付けられない。また、困ったことにGoodreaderなどの外部アプリに送る機能も実装されていない。これでは文献を取りあえず見るだけで、利用する価値が半減してしまう。Mendeleyのアプリが将来アップデートされれば、外部アプリとの連携機能が強化されるかも知れないが、されないかもしれない。Mendeley社のクラウドに文献データを予め置いた場合には、iPadにダウンロードした後、外部アプリに送る機能があるので、Pogoplugなどのサードパーティークラウドに置いたデータを便利に利用できる機能は、実装されない可能性の方が大である。しかしあきらめきれない。何とかならないものかと考えたら、一つ方法があった。

iPad版Mendeleyで
Pogoplugのリンクを開いたところ

Pogoplugに置いてある文献データへのリンクをMendeley上で表示させると、PDFのアイコンとともにTwitterやGoogle+へのリンクアイコンが表示される。私はこれを使ってPogoplug上のリンク情報を取得し、Goodreaderから直接Pogoplugのデータをダウンロードすることにした。TwitterやGoogle+を経由する分、一手間増えるが、全体の利便性を思えば、大して面倒なことではない。これでどこにいても、iPadから必要な文献を利用できることになった。しかもMendeleyで整理した文献情報は、そのまま論文を執筆する際に利用できるので、正に一石二鳥の上首尾となった。

2012年5月14日月曜日

SecureZIP Readerが神


これまでだいぶ長い間、かなり重要なメモでも私はEvernoteに入れていた。Evernoteはネットワークで情報が同期されるため、どこにいても必要な時に情報にアクセスできるためだ。しかし、Evernoteではページ単位でパスワードや暗号化の処理ができないため、セキュリティがずっと気になっていた。

Evernoteは便利だがセキュリティに問題が…

ファイルを暗号化するようなソフトは多い。だから暗号化したノートファイルをDropboxなどに置いておけば、どこでもファイルにアクセスできて、セキュリティも保たれる。しかし問題はiPadだった。iPadに対応した暗号の復号化アプリは非常に少ない。ところが最近SecureZIPというファイルの圧縮・暗号化ソフトで有名なPKWARE社からiPad用の閲覧アプリSecureZIP Readerが公開された。しかも無料なのがさらに嬉しい。

iOSに対応したAES-256の復号化アプリ

SecureZIP ReaderはAES-256という最先端の暗号の復号化に対応している。これを使えば、7Zipなどを使って暗号化したファイルをDropboxに置き、必要な時にiPadからも暗号化したファイルを閲覧することができる。SecureZIP Readerは正に神アプリなのだ。(ついでに7Zipのポータブル版をDropboxに入れておけば、PCからはどこにいてもファイルを複合化することもできる。)

この記事を読んでDropboxを導入してみようと思った方、次のアドレスからDropboxをインストールして頂くと、あなたと私に500MBずつの増量がつきます。
http://db.tt/LbGwxa5x

7ZipはAES-256の暗号化に対応したアーカイブソフト
現状ではSecureZIP Readerは日本語テキストに対応していないため、日本語のファイルを表示させようとすると文字バケしてしまう。だから私はSecureZIP Readerで復号化したファイルをGoodreaderに送って閲覧している。この点だけが難点だが、実際に暗号化したファイルにアクセスするのはそれほど頻繁ではないので、閲覧手段が用意されただけでも良しとしよう。日本ではエクセルソフトがSecureZIP Readerのライセンスを取得したようなので、そのうち日本語にも対応することだろう。何よりも、セキュリティを保持しながら重要な情報にいつでもアクセスできる方法の整ったことが私は嬉しい。

2012年4月25日水曜日

アメリカ人には英語のハンディがない


OECDの世界学力ランキング(2009)で、日本の数学は9位、アメリカは31位、日本の科学は5位、アメリカは23位だが、「自信」はアメリカが1位という結果が出ている。アメリカ人のこの「自信」は一体どこから来ているのだろうか?それはGDPでアメリカが1位だということに加えて、アメリカ人には、事実上の世界共通語である英語のハンディがないことも大きな理由だと私は考えている。

アメリカには世界中から多くの外国人が集まっている。大学にも留学生や外国人研究者の数は非常に多い。大学でアメリカ人研究者や学生の様子を見ていると、英語が堪能ではない外国人を見下すような態度が見受けられる。そしてこうした態度をとるアメリカ人に共通しているのは、英語の能力と専門分野の能力とは直接関係がないことを理解していないということだ。言い換えれば、彼らは留学生や研究者の英語のレベルで、専門性のレベルを計り、自分たちの優越性を感じているのだ。

しかし科学・技術の現場でも、英語の運用能力が重要であることは間違いない。毎日大量に発信される研究論文は、全てが英語で、研究現場でも英語でコミュニケーションすることが大前提になっている。如何に日本人の基礎学力や研究内容が優れていても、英語を母国語としない日本人は、世界に情報を発信したり、世界の状況を把握しようとする際に、どうしても時間差が生まれてしまう。さらに日本の英語のレベルは劣悪でもある。仮に世界の学問の中心が中国に移ったとしても、極めて「非科学的」な中国語が学問の共通語になることは考えられない。これからも英語が世界の共通語である状況は、100年以上の単位で続いて行くことだろう。こうした状況で日本が「学問のガラパゴス」にならないための方法は、英語教育を根本から改める以外他に方法はない。小学校から大学まで、国語(日本語)以外の全ての教科書を英語にし、教科として英語を教える教員を、全てネイティブスピーカーに代えて行くような改革をしなければ、日本人の英語のレベルは劣悪なままであろう。私自身の学生時代のことを振り返っても、自分自身が書けない・話せない教師に英語を習って、どうして生徒である我われが話したり、書いたりできるようになるというのだろうか。そういうことは絶対に起こらないのである。しかし全てを折衷化してしまう日本の精神的風土では、こういうドラスティックな改革はとうてい現実化し得ないのも事実である。そして日本は、せっかく高い基礎学力を持ちながら、世界から徐々に取り残され、「学問のガラパゴス」となって行くのかもしれない。

2012年4月24日火曜日

アメリカを一等国にしているのは、優秀な外国人


アメリカの科学・技術を世界のトップレベルにしている二つ目の理由は、優秀な外国人がアメリカに集まりやすくなっていることだ。アメリカの大学や研究所を見ると、そこで研究に従事している外国人の多さに驚かされる。一見して分かるのは、中国人の多さである。次に韓国やインドの研究者も多い。医学系では日本人も目立つ。正確には統計資料を見ないと分からないが、アメリカの大学や研究所のレベルが高いのは、アメリカ人が特別に優秀だからなのではなく、優秀な外国人が多数アメリカの研究機関に来ているからではないかと思う。

確かに第2次世界大戦以後、アメリカは科学・技術の研究環境として世界で最も魅力的な場所だった。このため多くの優秀な研究者がアメリカに集まる潮流が出来上がった。現在もその名残で、多くの優秀な外国人がアメリカに来ている。しかしこの傾向がこれからも続いて行くかどうかは分からない。アメリカの経済は疲弊している。したがって、特に直近の利益を生み出すかどうか分からないサイエンスに資金を当て続ける余力が、これからもアメリカにあり続けるとは到底思えない。アメリカの経済が疲弊している最大の原因は、工業製品の品質の低さであり、さらにその原因は、一般的なアメリカ人の「イージー、すなわち雑な仕事ぶり」に根ざしている。イージーな性質は、現代アメリカ人の一般的気質なので、これが突然変化することは到底考えられない。したがってアメリカ経済はこれから益々疲弊して行くことになるだろう。それはまたサイエンスを支える資金の枯渇を招き、結果として優秀な外国人はアメリカに来なくなるのではないかと思う。

しかし見渡すところ次の世界の中心地はまだどこにも定まっていないようだ。経済状況から言えば、中国の可能性が高いが、現在の政治体制が続く限り、中国ではサイエンスは発展しない。現在でも科学・技術の世界の中心がアメリカにとどまっているのは、次の行き場がないからに他ならない。中東に起こったような革命的な民主化が中国で成立すれば、一気に世界の研究者は経済状況の良好な中国になだれ込み、アメリカの時代は終焉することになるだろう。

釘は出ても打たれない


学生の基礎学力が高いわけでもなく、研究者も日本人と同程度のレベルでありながら、現状ではアメリカの科学・技術が世界のトップレベルである一つの理由は、「突出」を認める気風がアメリカにはあるからではないかと思う。「出る釘は打たれる」という言葉があるが、日本では他人より秀でた才能をさらに伸ばすのではなく、芽のうちに摘み取ろうとする社会的圧力が働く傾向が強い。しかしアメリカでは逆で、こうした芽が出たら、それを伸ばそうとする気風と社会のシステムが整っているように思う。私は今回アメリカに来て、改めてこちらの工業製品の質の悪さに辟易しているが、唯一アップルのiPadだけは素晴らしいと思う。文房具から自動車にいたるまで、日本の製品と比較すると、アメリカの製品の質は非常に低い。(ただしアメリカ人の多くは、アメリカの工業技術は、今でも世界一だと思っている。)iPadも、ほとんどの部品と組み立ては韓国や中国で行なわれていて、アメリカ製であるのはスティーブ・ジョブズという天才の「アイデア」だけだ。しかし、日本との違いは正にこの点にある。アメリカにはスティーブ・ジョブズのような傑出した人物を世に出す社会的な気風があるが、日本にはない。ソニーやトヨタの品質は素晴らしいが、個性やセンスは感じられない。開発「チーム」が皆で作った折衷的な匂いが漂っている。高度成長期の時代から、日本の品質管理の高さは世界に聞こえているが、「新しい」製品を生み出していく「傑出した個性」が今の日本にはない。突出や傑出を認める気風が日本にも醸成されるか分からないが、出来なければ日本は、これからもアメリカで開発されたアイデアの猿真似を繰り返し、品質だけは素晴らしいがセンスのない製品を造り続けて行くことになるだろう。(しかしそれでも実用面では、日本製品の方がずっと良い。iPadを除いては。)

ワシントン大学


昨年シアトルに来てからずっとさぼっていた、ワシントン大学のレポートをしよう。

ワシントン大学は世界の大学ランキング(THE)で25位に位置し、ノーベル賞受賞者を多数擁する医学部と、地元にマイクロソフトやアマゾンの本社、ボーイングの組み立て工場などを抱えるため、こうした大企業と関係の深い工学部の人気が特に高い。キャンパスは、シアトルの他にタコマとボゼルにあるが、ほとんどの学部はシアトルのキャンパスにある。(ちなみに日本の大学として最高順位の東大は30位。)

4月は桜がきれいです。

(充実した図書館設備)
この大学に来て、まず最初に関心したのは、図書館の素晴らしさだ。学内には小さなものを含めると30近い図書館が存在するが、主に学部生が利用するOdegaard Undergraduate Libraryと、大学院レベルの学生が利用するSuzzallo & Allen Librariesの二つの規模が大きい。蔵書の充実度はもちろんだが、各フロアーにはスキャナー付きのPCが設置されているなど、利用者の利便性もよく考えられている。

スキャナー付きのPCスペース
しかし何よりも素晴らしいのは、これらの図書館には、1フロアー全体が議論のためのオープンスペースとして確保されていることだ。書き込みのできる壁やホワイトボードが随所に置かれ、学生はそれらを自由に利用しながら議論をすることができる。PCプロジェクターや大画面の液晶モニターも多数設置されており、ノートPCを接続して、自由にプレゼンテーションの練習も行なえる。日本にもこうした空間を備えた図書館があるのかもしれないが、私は知らない。この空間で、活発に議論を展開している学生の様子を見たとき、これこそが「アメリカの力」を生み出している理由の一つに違いないと私は強く感じた。

図書館のフリースペース
現代の情報化社会では図書の電子化も加速度的に進んでいるのだから、これからの大学の図書館は、蔵書を蓄えるのではなく、こうした「空間の充実」を図ることを目指すべきであると思う。しかしこのようなことを言うと日本では、誰もが電子書籍の利用に精通しているわけではないという反対意見が出て、その結果、両者を折衷したような中途半端なモノができあがる。思い切って踏み切ることができないこうした日本的折衷の態度が、日本をいつまでも「二等国」にしている原因だと私は思う。敢て言おう、切るべきものは切り、全体の平均的向上ではなく、一部の飛躍的跳躍を目指さなければ、日本の将来は先ぼそるばかりだ。

(まじめで積極的だが、基礎学力は高くない。)
学生は非常にまじめで、積極的だ。また、ワシントン大学の学生であることに対してのプライドも高い。私は2002年にボストンカレッジにも研究員として滞在したことがあるが、ここでも学生は非常にまじめだった。おそらくアメリカの学生は、一定レベルの大学である限り、勉学への取り組みは、積極的でまじめなのだろうと思う。

この理由は、アメリカの場合、非常に多くの学生が教育ローンを使って、自分で学費を支出しているからではないかと私は考えている。アメリカの平均的学費は、州立大学で1万ドル、有名私立になると3万ドル~4万ドルという額になる。高額な学費をローンを利用して自分で払い、将来は返済しなければならない以上、おのずと積極的に勉学に取り組むようになるのは当然と言うべきだろう。同時に、大学のサービスや教員の質に対する学生の評価も厳しいものになっている。

しかし、今回多くの学生と接してみて意外に感じたのは、基礎学力については、決して高い方ではないということだ。私は工学部に所属しているので、学生はほぼ全員が理系なのだが、彼らの数学やサイエンスに関する基礎学力は、日本の一流レベル大学の平均的な学生と比べと、むしろ低いと言ってよい。(裏を返して言えば、基礎学力の高い日本の学生は、やる気さえあれば、アメリカの学生など比較にならないほど伸びる可能性がある。)

さらに言うと、こちらの研究者や教員の研究レベルや授業内容も、決して驚くほど高いわけではない。英語のハンディが無いと仮定するならば、日本の研究者でも遜色なく通用すると思う。ただしこちらの研究者のプライドは驚くほど高く、日本からの研究者は一般に、卑屈なほど低姿勢である。(日本人研究者のこうした態度の主要な原因は、英語の能力不足にある。英語による意思の表現に不自由があるため、どうしても控えめになってしまうのである。)

それでは、学生の基礎学力が高いわけでもなく、研究者も日本人と同程度のレベルでありながら、なぜアメリカの科学・技術は、世界のトップレベルであり続けているのだろうか。それには少なくとも2つの理由があると私は考えている。



2012年3月31日土曜日

Flash Mob

息子の通っている学校では、3月の最終週にスクール・ミュージカルを上演する。12月にオーディションを行い、1月から3月まで、放課後毎日練習をして本番を迎える。先日、シアトル市内のショッピングモールで、このミュージカルのプロモーションとして、フラッシュ・モブが行なわれた。

アメリカのアパート契約

3月30日

アメリカのアパートは、1年目はまる12ヶ月の契約になるところがほとんどだ。日本だと、転居をする1ヶ月以上前に連絡をすれば、いつでも契約解除をすることができるが、アメリカの場合は、そうはいかない。最初の契約時に、12ヶ月分の契約をさせられてしまうので、たとえ入居してから1ヶ月で転居しても、12ヶ月分の家賃を請求される。また、まる12ヶ月ということは、4月途中から入居した場合、次の年の4月末日までの契約となる。

しかし2年目からは、1月単位の契約が可能になる。こういう情報がネット上に出ていないので、2年目も、1年単位の契約になったら困るなと思っていたのだが、そういうことにはならず助かった。

私は8月末に帰国予定なので、4ヶ月の契約更新をした。1年単位の更新より、1月の家賃が割高になるが、それは仕方がない。300ドルほど高くなってしまったが、法外なほど高くなったわけではないので、これも助かった。面白いのは、3ヶ月延長した場合よりも、4ヶ月延長した場合の方が、微妙に高くなっているところだ。これはおそらく8月の引越シーズンにも、まだ住んでいることになるからかもしれない。アメリカは9月から新年度が始まるので、8月が引越しシーズンなのだ。

1年目が完全に拘束されてしまうのが少し窮屈な感じだが、アメリカの場合は、礼金や契約手数料、契約更新料がないので、日本の賃貸より割安だと思う。敷金はあるが、500ドル程度で、日本人の場合、部屋を傷めたりしないので、実際にはほぼ全額が戻ってくる。それから引越し時のばかげたクリーニング代などもない。

1ヶ月単位の更新料金

2012年3月11日日曜日

確定申告

我われのように研究者ビザで滞在し、日本の収入しかない場合でも、アメリカでは確定申告の必要がある。ネット検索すると色々と不正確な情報が多く、困ったのだが、ワシントン州の場合は、州の所得税がないため、8843という書類を出すだけでよかった。記述も非常に簡単だ。

日本から在外研究で来ているような研究者は、この申告を行なっていない場合がほとんどではないかと思うが、Social Security Numberを取得している場合は、申告に関する記録が残るので、将来ビザを改めて申告するような場合のことを考えると、申告は行なっておいた方がよい。

また、研究者(J)ビザの保有者の場合、2年間は非居住者non-resident alienになるので、例え収入があっても非課税扱いとなって、源泉徴収された分が還付されるようだ。しかし、例えば子どもを将来、州立大学などに行かせたいと考えている場合は、確定申告で、non-residentを主張せず、敢えてresidentとして税金を払うようにしていれば、将来の学費が非常に安くなる。ほとんどの州は、3年間residentであったことを要求するので、この実績を作るのは簡単ではないが、何とか出来る方法もあるような気がする。

(続報)
3月10日にcertified mailで発送したところ、3人分無事に届いていることが確認できた。大切な文書は、certified mailが安心だ。

2012年3月9日金曜日

ビザの更新

2月17日
バンクーバー総領事館で私自身のJ1と、妻と子どものJ2 の更新をした。手続き自体は、拍子抜けするほど簡単だったが、手続き後の受け取りで、10日間も待たされ、時間の無駄と滞在費がかさんで、大変な思いをした。

(面接の予約)
2ヶ月ほど前にインターネットの予約ページから9時30分の面接予約を行った。少し前まではカナダに入国してから銀行振り込みで手数料を支払う必要があったようだが、現在は、ネット上でクレジットカード決済ができる。一人140ドルも取られる。面接の予約は、たぶん前日までなら、変更可能で、恐らく何回でも変更できる。私は最初10時の予約をしたが、早い方がよいと思い、9時30分に変更した。

SD-160の入力内容は、昨年とほとんど同じだったが、中学から大学院修了までの学歴を入力する欄が増えていた。10年前にビザを取った時の記録を利用したので、それほど面倒ではなかった。

(事前に用意した書類)
  • ワシントン大学からの招聘状
  • 大学(日本)からの身分証明書
  • 大学からの給与証明書
  • Citibankの残高証明
  • 学位記のコピー
  • 婚姻証明書(2011年10月から日本の大使館では戸籍謄本の提出を要求しているため。シアトルの領事館で発行。)
  • 子どもの出生証明書
しかし、これらの書類は一つも提示を求められなかった。

(領事館に近くのホテル)
前日の16日にシアトルから車で、領事館の近くのDaysInn Hotelに入った。領事館までの距離は徒歩で2分だった。万が一、申請内容に修正箇所が生じた場合を考えて、出来る限り領事館に近いホテルにした。修正が必要な場合は、すぐにホテルに戻り、PCで変更するつもりだった。一昨年、東京の大使館で申請した際、一箇所修正が必要になり、大使館近くのKinkosでPCとプリンタを借りて修正したが、大使館からKinkosまでの距離が結構あり、しんどかった。バンクーバーの領事館の近くにはStaplesのビジネスサービスがあった。修正点が生じた場合は、ここを利用してもよいかもしれない。ただし、バンクーバーで修正が必要な場合に、東京の大使館のように、一度外に出て修正し、その日のうちに再申請できるかどうかは分からない。バンクーバー領事館の混雑ぶりを見ると、実際は不可能かもしれない。

(外での待ち時間は2時間)
電子申請のホームページには、面接時間の20分以上前には、領事館に行かないように書かれていたので、9時にホテルを出て、領事館に向かった。領事館には9時5分ごろ着いた。9時30分が最初の面接時間のはずだったが、既に長蛇の列が出来ていた。建物のセキュリティを通過したのはが11時ごろだった。最初にパスポート、DS-2019、Confirmationの確認だけのカウンターがあり、3種の書類だけを提出した。この時、番号札を渡された。10分ほどで書類を返され、さらに自分の番号だ電光掲示板で表示されるまで15分ほど待った。自分の番号が表示されたので、エレベーターで20階に上がった。

(面接は非常に簡単)
20階が領事の面接カウンターになっていた。最初に妻と私が10本指の指紋を取られた。息子の指紋は取られなかった。20分ほど待つと、再度番号が電光掲示板に表示されたので、指定されたカウンターに向かった。朝の列に並んでいたとき、話しかけられたヒゲの男性が面接官だった。名前の確認と、大学で何を研究しているかなどの、雑談程度の簡単な会話をして、面接は終了した。パスポート、DS-2019、Confirmation以外の書類は一つも見せるように要求されなかった。3 busyness daysでビザは登録したDHLのオフィスに届けられると言われて、手続きは終了した。

(受け取りが最大の問題)
領事館の手続き自体は何の問題もなく、簡単に終わったのだが、その後のパスポートとビザの受け取りで時間がかかり、非常に困った。実際にビザの添付されたパスポートを受け取ったのは、2月27日(月)の朝で、面接の日から10日目という遅さだった。最大の原因は、領事館の仕事の遅さと、DHLが土・日に営業をしていないというばかげた理由だ。実は家内の分だけは23日(木)の18時にメールで知らせが届き、24日(金)の朝に受け取ることができた。ところが私と息子の分は、木曜日中に出来上がっていなかったらしく、金曜日には受け取ることができなかった。DHLの店員の話では、領事館には1日に1回、午後6時にしかパスポートを受け取り行っていないため、金曜日に受け取った分は、月曜日の朝まで渡せないという、日本の宅急便では考えられないようなシステムなのだ。

最終的には日本に一時帰国することなくビザの更新ができたが、受け取での時間のロスを考えると、日曜日の夜に移動して、月曜日の朝に面接予約をし、最速で水曜日、最悪でも金曜日には受け取れるような予定を組むのがベストではないかと思う。

2月27日
(国境の通過)
アメリカ側からカナダ側に出たときには、非常にスムーズで、ただパスポートにカナダ入国のスタンプが押されただけだったが、カナダからアメリカへの再入国には、多少時間がかかった。まず車のゲートまでが混雑のために約40分かかり、ここでビザをカナダで更新したことを伝えると、車から降り、別棟の入国検査窓口で手続きを行うように指示された。検査窓口に行ってみると、前に20~30人ほどの人が審査待ちの列を作っていた。検査官は2・3人で、50分ほど仕事をすると休みに出て行ってしまうという仕事ぶりのため、ここで自分たちの番がくるまで、さらに1時間半ほど待たされた。

審査自体は非常に簡単だったが、DS-2019へのサインやスタンプが、これまでインターネット上に出ていた情報と少し違っていた。そもそも私のDS-2019には、在カナダ総領事館副領事のサインがあったのだが、家族の分には、サインやスタンプがなかった。私の分にもスタンプはなかった。昨年、日本の大使館で申請したときには、全員にスタンプとサインがあったので、書類の処理の仕方が機関によって違うようだった。

国境の検査官は、家族のDS-2019にのみスタンプとサインをし、私の分には何もせず返された。インターネット上の情報では、私の場合もスタンプが必要だとされていたので、検査官に、本当に私の書類にはスタンプが必要ないのかと念を押して訊ねたが、必要ないと言うのだった。またI-94も、そのまま返されたので、私については、カナダに出国した記録が残り、いつアメリカに戻ったのかの記録がないことになってしまった。たぶんこれは検査官の間違いだと思うが、一度自分が正しいと言ってしまうと、相当な身分の上司からでも指摘されない限り検査官がミスを認めることはないので、そのまま書類を受け取り帰路についた。恐らくアメリカに居る限り問題になることはないと思うが、再度カナダに行き、またアメリカに入ってくるとき問題になる可能がある。

(続報)
I-94が更新されず古いままになっていることが非常に気になったので、後日、大学の海外交流担当の窓口で確かめたのだが、われわれのI-94には特定の期限はなく、D/Sとなっているので、付随するDS-2019が正しく更新されていれば大丈夫だということだった。若干、心配な点もあるが、仮に将来問題が出た時には、不正に滞在しているわけではないので、移民局に修正願いなどを出して対応することにした。それにしてもアメリカというところは、日本ではとうてい考えられないほど、様々な手続きの処理が、窓口の人間によってまちまちな、いい加減な国だと思う。この国がどうして世界一の国なのか、ますます分からなくなった。

なお、今回色々と調べてみて分かったのだが、ビザは国境の通過許可証であって、滞在許可ではないようだ。したがって、ビザが切れてもI-94にD/Sと記載され、有効なDS-2019がある限り、合法的にアメリカに滞在できるらしい。少なくとも学生ビザに関する政府機関の説明にはそのように書かれている。したがって、滞在期間中にアメリカ国外に出ない限り、ビザの更新は必要ないようだ。
http://travel.state.gov/visa/temp/types/types_1268.html#14

結果的にビザの更新はでき、アメリカに再入国できたが、何らかの手違いでビザの申請段階で大きな問題が生じると、パスポートをアメリカ領事館に取られたままになるので、カナダから出国できないことになる。このリスクを考えると、やはり通常通り、日本に戻ってビザの更新を行なう方が懸命だと思う。特に家族同伴の 場合はリスクが高過ぎると言うべきかもしれない。

理科

アメリカでは、教科書は学校から貸し出され、学年が終わると返却することになっている。そして次の年の同学年がその教科書をまた使う。そのため、教科書には絶対に書き込みをしてはならないとされる。息子の学校の理科の先生は、このシステムが学習の効果を妨げると考えているらしく、毎回授業で扱う教科書のページをコピーして渡してくれる。そして毎回、渡されたページを読み、重要な部分をラインマークし、設問のプリントに答えるという内容の宿題がだされる。この宿題のサポートもそれなりに大変だが、この先生の授業は、実験なども丁寧に行い、とても良いようだ。また、理科の内容は、日本で中学受験を経験した子どもにとっては、全て知っていることなので、プリントに細かい要約を付ける必要もなく、私にとって社会ほどの負担もかからない。

教科書を読んで感じたのだが、理科の英語は他の教科よりもはるかに平易だった。サイエンスの世界では英語が共通語になっているが、サイエンスの英語が社会科学などと比較して平易なのが、このことと関係しているかも知れない。

さらに、理科ばかりでなく、社会でも言えることだが、アメリカの教科書では「高度な科学的内容」を出来るだけあいまいにしないようにする姿勢が見られる。例えば理科では、「重さ」と「質量」の違いなどに踏み込んで解説しており、社会では、考古学的史料の年代決定として、放射性炭素測定法などに言及している。子どもたちがどれほど適切に理解しているか疑問な点もあるが、本質的な点をあいまいにしない態度が、アメリカのサイエンスを支えていると言えるかもしれない。これほどレベルの低い数学をやりながら、サイエンスではアメリカが今でも世界のトップを走っている理由がこういうところにあるのかも知れない。

理科の副読本
簡潔で非常に良い内容です。

社会

サポートの手間が最もかかったのが、Social Study(社会)だ。

最初の1ヶ月は、My History Projectという、生まれてからこれまでの自分の歴史と、社会の歴史をイラストや写真を入れてポスターに書き、プレゼンテーションボードに貼り付けていくという内容で、英語のハンディがありながらも、絵が得意だった息子には、学校の生活に慣れるため非常によい学習だった。

My History Project

しかし2ヶ月目からは500ページもある教科書を使う授業が始まった。教科書自体の内容は、地理と歴史が一体になったもので、非常によいものだと思う。しかしこの教科書を自分で読んで、各節ごとの設問に答えてくるという宿題が毎日出る。この宿題のための準備をしておくのが非常に大変だった。1回分は5~6ページなのだが、英語の問題から、息子一人ではとてもこなせる内容ではない。そのため、私が予め各段落ごとの要約をページの余白に日本語で書き込んでやり、設問の回答例を用意してやったのだが、このために毎日3時間くらいかかるのである。そして何と、授業では、宿題の答え合わせをするだけで、本文の内容を解説するようなことはないようなのだ。教師にとってこれほど楽で、生徒にはこれほど負担のかかる授業のやり方はない!ただし息子にとっては、英語のハンディがあるため、予め準備した内容を発表したり、聞いたりする程度で、十分英語の練習にはなっているのかも知れない。

なお、この社会の教科書は非常に良い内容なのだが、これを授業で消化するためには、毎日3時間程度の時間が与えられないと無理ではないかと思う。数年前、高校生用の生物に関するアメリカの教科書が日本語に翻訳され、優れた内容だと紹介されていたが、確かにアメリカの教科書の内容は非常に優れていると思う。ただしこの内容が本当に消化されているかというと大きな疑問符が付く。どれほど優れた教師であっても、毎日1時間程度の時間では、「素晴らし過ぎる教科書」の内容を授業で消化していくことは不可能ではないかと思われる。

社会の教科書に私がコメントを付けたもの。
全ページにこれをやるのは非常に大変だ!


2012年1月13日金曜日

中学1年の最初に入学するのがベスト

実年齢に応じた学年に転入すると、息子の場合、中学2年ということになるのか知れないが、改めて1年生のクラスに入ったことは、非常に良かったと思う。最低限の日常会話は出来たとしても、勉強で使う英語はそういうわけには行かない。これまで読み・書きの練習は全くしてこなかったので、英語のテキストを読み、文章を書くなどということが一朝一夕に出来るわけがない。まして2年生に編入した場合、当然だが、1年生で学習したことを前提にカリキュラムが進んで行くことになる。ただでさえ英語での学習が困難な状況で、内容的にも日本とは異なるカリキュラムの既習内容を前提に進行して行くとなると、授業で何をやっているのか全く解らないということにもなりかねない。しかし、改めて1年生からのスタートということであれば、現地の子どもたちにとっても、全ての教科が小学校とは異なる内容で新しく始められることになるので、内容的には消化しやすい状況になる。子どもをアメリカに連れてきた所期の目的は、とにかく会話の力をつけることだけで、1年で帰国するのだから、各教科の学習はどうでも良いと言っても、学校で過ごす授業の時間は非常に長い。この間、何をやっているのか分からないような状態であったら、極めて苦痛な時間を長い間過ごさなければならなくなってしまう。私自身は、テストなども全て0点でもかまわないと考えていたが、いくら英語で勉強しているのだから仕方ないと言っても、本人にとっては、それはやはり嫌なことに違いない。

しかし実際に授業が始まってみると、おおよそ心配していたほどのことはなかった。確かに国語(英語)の授業などは、相当に大変なことは言うまでもないが、中学受験のレベルから言うと、それ以外の教科は、内容的には既に知っていることがほとんどだった。特に助かったのは数学で、アメリカの数学レベルは驚くほど低い。息子の場合、最初の一ヶ月で中学の内容を飛び越え、その後は高校の問題集を渡されて、一人で自由にやるように言われ、宿題もない。これは非常に助かった。息子の通っている学校は、アメリカの学校としてはめずらしく、毎日かなりの分量の宿題が出るのだが、ほとんどの子ども達が一番苦労する数学で時間を取られることがなくなったので、英語でハンディのある他の教科に時間を使うことができるようになった。

2012年1月12日木曜日

アメリカの小学校1年生は、日本より半年早く入学する。

こちらに来て初めてよく分かったのだが、アメリカの小学校1年生は、日本より半年早く入学する。アメリカの学校が9月から始まることは知っていたが、その9月が、日本の4月から半年遅いのか、半年早いのか、こちらに来るまで分からなかった。

息子は日本で中学1年生の1学期を過ごしてから、9月にこちらの中学1年に入学した。ある日、息子が家に帰って来て、クラスの友達がほとんど皆、11歳だと言うのである。息子は1月で13歳になったので、クラスの友達は1~2歳ほど年少ということになる。

しかしアメリカ人はこういうことを少しも気にしない。それがアメリカの良いところだ。息子も幼いところがあるので、1~2歳年少の友達とちょうど良いような感じだ。毎日、本当に楽しそうに学校に通っている。苦労して入った日本の私立中学より、こちらの中学の方がずっと楽しいと言い出す始末だ。

中学校

9月に息子の学校が始まってから、子どものフォローで忙しく、あっという間に5ヶ月がたってしまった。このままでは何も記録を残さずに帰国することになってしましそうなので、久しぶりでブログを書くことにした。

子どもの通っている学校は、幼稚園、小学校、中学校が併設されているカトリックの私立校だ。アメリカの公立学校には生活安全面で不安があったので、1年以上前からシアトルの私立学校の状況をサーチし、この学校にした。結果として大正解の学校だった。小学校・中学校合わせて161名が在籍し、息子の通う中学1年生は、11人しかいない。中学は、3年生のクラスが25名程度で少し多いが、各学年の生徒数が非常に少ない。だから生徒に対する学校のケアーが非常によい。しかし生徒数が少ない理由はよく分からない。授業料のためかも知れないし、年間50時間と義務付けられているボランティアのためかもしれない。しかし本当の理由は分からない。

幼稚園から中学まで、この学校に日本人は息子一人しかいない。これまでにも日本人の在籍したことはなかったようだ。カトリックの学校ということで、日本人にはあまりなじみがないのかも知れない。学費は年額で70万円ほどで、近辺のカトリック学校の中では少し高い方だ。しかし宗教系ではない私立学校の場合は、200万円~400万円程度の授業料のところがある中では安い方かもしれない。

息子は3歳の時に1年弱ボストンの幼稚園に通い、帰国後も英語で生活する幼稚園に通っていた。小学生の間も、細々とではあるが、会話のレッスンを受けていたり、毎年夏には1週間程度アメリカに来て、サマーキャンプに参加していたので、会話がゼロではなかった。そのためか、初日から学校の生活で困ることはなく、すぐに友達もできた。2ヶ月ほどすると、会話の力は急速に伸びて、今では全く不自由なく英語で生活をしている。学校に一人でも日本人がいると、どうしても日本人同士で一緒にいるようになり、こういうわけには行かなかったかもしれない。

しかし各教科での英語は、会話のようには行かず、こちらのフォローが大変だった。