2012年3月9日金曜日

理科

アメリカでは、教科書は学校から貸し出され、学年が終わると返却することになっている。そして次の年の同学年がその教科書をまた使う。そのため、教科書には絶対に書き込みをしてはならないとされる。息子の学校の理科の先生は、このシステムが学習の効果を妨げると考えているらしく、毎回授業で扱う教科書のページをコピーして渡してくれる。そして毎回、渡されたページを読み、重要な部分をラインマークし、設問のプリントに答えるという内容の宿題がだされる。この宿題のサポートもそれなりに大変だが、この先生の授業は、実験なども丁寧に行い、とても良いようだ。また、理科の内容は、日本で中学受験を経験した子どもにとっては、全て知っていることなので、プリントに細かい要約を付ける必要もなく、私にとって社会ほどの負担もかからない。

教科書を読んで感じたのだが、理科の英語は他の教科よりもはるかに平易だった。サイエンスの世界では英語が共通語になっているが、サイエンスの英語が社会科学などと比較して平易なのが、このことと関係しているかも知れない。

さらに、理科ばかりでなく、社会でも言えることだが、アメリカの教科書では「高度な科学的内容」を出来るだけあいまいにしないようにする姿勢が見られる。例えば理科では、「重さ」と「質量」の違いなどに踏み込んで解説しており、社会では、考古学的史料の年代決定として、放射性炭素測定法などに言及している。子どもたちがどれほど適切に理解しているか疑問な点もあるが、本質的な点をあいまいにしない態度が、アメリカのサイエンスを支えていると言えるかもしれない。これほどレベルの低い数学をやりながら、サイエンスではアメリカが今でも世界のトップを走っている理由がこういうところにあるのかも知れない。

理科の副読本
簡潔で非常に良い内容です。